「言わなくてもわかるだろ」
この一言、職場で何回聞いただろうか。
先に結論を言う。これは指導でもなければ、期待でもない。ただの甘えだ。しかも、言ってる側の。
日本は「察して文化」世界チャンピオン
まず前提の話をしたい。
異文化マネジメントの世界的権威、エリン・メイヤー(INSEAD教授)の研究によると、日本は世界で最もハイコンテクストな国だ。ハイコンテクストとは、「言葉にしない部分」で意思疎通する度合いのこと。行間を読め、空気を読め、察しろ。その要求レベルが、調査対象国の中で日本がぶっちぎりの世界一。
なぜそうなったか。日本は島国で、住民が均質的で、何千年も同じ顔ぶれで密集して暮らしてきた。だから「言わなくても通じる」が成立しやすかった。
過去形なのがポイントだ。
転職が当たり前になり、世代間の価値観が割れ、外国人労働者も増えた現代の職場で、「察しろ」はもう機能しない。前提を共有していない相手に行間を読ませるのは、地図を渡さずに「目的地くらいわかるだろ」と言うのと同じだ。
この過剰にコンテクストを求める文化は、世界基準で見れば極端な少数派。グローバルではむしろ「明確に言語化できる人」が優秀とされる。日本の「察して当然」は、世界の常識でも何でもない。
自分の「当たり前」と相手の「当たり前」は違う
「それくらいわかってて当たり前だろ」
この決めつけが諸悪の根源だ。
あなたの「当たり前」は、あなたの経験・環境・積み重ねの上に成り立っている。相手の「当たり前」は、まったく別の材料でできている。同じ会社にいても、同じ部署にいても、だ。
考えてみてほしい。
言葉にして伝えても、齟齬が生じる。誤解される。わかり合えない。それが人間だ。
言葉を尽くしてもズレるのに、言葉にさえしなければ理解できるわけがない。当然すぎる話だ。
じゃあ何のために「言葉」があるのか。言葉は、人間だけに許されたコミュニケーションツールだ。犬は吠えるしかない。猫は鳴くしかない。人間だけが、頭の中の複雑な考えを言語化して他人に渡せる。
その最強のツールを使わずに「察しろ」って、それはもう人間のコミュニケーションを放棄している。
「言わなくてもわかるだろう」の正体
はっきり言おう。
「言わなくてもわかるだろう」は、説明することが面倒くさいという怠慢を抱えている側にとって、最高に都合の良い言葉だ。
分解すると、「それくらいわかって当然」の正体はこの2つしかない。
- ①説明する能力がない
- ②教えるのがめんどくさいから言いたくない
どっちかだ。例外はない。
そして最悪なのは、この自分側の問題を、相手の欠陥にすり替えていることだ。
「言わなくてもわからないお前が悪い」
違う。言語化できないあなたの能力不足か、言語化をサボったあなたの怠慢だ。それを相手の理解力のせいにして、自分は安全圏から評価者ヅラをする。ズルいにも程がある。
言い換えれば、「言わなくてもわかるだろう」はマニュアルを作れない人間の言い訳だ。優秀な組織ほど暗黙知を形式知に変える。マクドナルドが世界中どこでも同じ品質を出せるのは「察しろ」で回してないからだ。
「察してほしい」は横暴である
「自分が考えてることは、何も言わなくても理解してほしい」
冷静に文字にすると、これがどれだけ横暴な要求かわかる。エスパーを要求しているのと同じだ。
そしてこの横暴のツケは、確実に返ってくる。
察する側は毎回、答えのないクイズを解かされる。間違えれば「なんでわからないんだ」と詰められる。正解しても褒められない。「わかって当然」だから。
これを続けるとどうなるか。相手はコミュニケーションで無駄に消耗し、やがて会話するのも、顔を見るのも嫌になる。報連相が減り、ミスが隠されるようになり、ある日突然、退職届が出てくる。
「言わなくてもわかるだろう」の行き着く先は、誰にも何も伝わらない職場だ。
まとめ:言葉にしろ。それだけだ
- 日本は世界一の「察して文化」。ただしそれは世界の非常識
- 自分の「当たり前」と相手の「当たり前」は別物
- 言葉にしても伝わらないのに、言葉にしなければ伝わるはずがない
- 「わかって当然」の正体は、説明能力の欠如か、説明の怠慢
- それを相手の欠陥にすり替えるな。マニュアルを作れない言い訳をするな
伝えたいことがあるなら、言葉にする。
面倒でも、言葉にする。
それが、言葉を持って生まれた人間の、最低限の誠意だ。


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